表裏一体悲しまないで、寂しがらないで、何時でも共に在るのだから。
「ギャウ!!」
切っ先が犬を切り裂けば紛い物も其れなりに鳴いて見せるらしい。
「くっそ、数が多い!!」
斬っても、斬っても、湧き出る犬の紛い物は姿を現した時よりも増えている様に見える。
「ガァァァァ」
低く唸り、獣とは似つか無い鳴き声は異形だと知らしめる。地面を蹴って飛びかかってくる犬共に乱暴に刀を叩き付ける。斬る、では無く、叩く。其れでも武器には違い無し、其の刀に宿る男は楽しそうに嗤った。
――― 嗚呼、嗚呼、嗚呼。
歓喜だ。
生を奪う事。
意味を成す事。
素晴らしい、と巨体を持つ男が歪に笑う。
大きな口を開けながら飛び掛かろうとする犬の足を掴んでやれば無様に地面に転がり、其の好機を逃すこと無く大峰が勢い良く振り上げた刃が脳天に突き刺さった。はぁ、と荒い呼吸をしながら流れる汗を雑に手で拭い、ザリ、と片足が地面を擦って鳴らす。未だに数は減らず疲労の色だけが濃くなる。ぐ、と柄を握り直した瞬間
「――― そこに誰か居るのか!?」
聞こえた声に思わず視線が流れ、見据えていた犬から意識が離れた一瞬、大峰の体を目掛けて飛びかかって来た犬の体を白い腕が絡み取り無慈悲に其れを潰した。ボトボトと音を立て、液体を撒き散らしながら地面に肉片が散らばって消える。
「ごめん、ありがとー」
小さく、短く呟きを落とす大峰の頬を白い腕が撫でれば途端に疲労感がましたのだろう、僅かに沈んだ体に声の主、比内雛菊が大峰に近付いて軽く背中に支えるように手を置いて直ぐに離れると腰に差していた刀を引き寄せると鯉口を切り、勢い良く鞘から抜き去った。
「助太刀する!」
「たすかる!」
体が重くなったせいだろう、飛びかかってきた犬の脇腹を大峰が握った妖刀がどうにか掠めるが其の動きを止める事が敵わず、再び牙を向いた犬を比内の切っ先が正確に其の喉元を捉えて貫いた。どろどろだ、疲労と妖魔が流した液体と暗闇に溶けていく感覚が入り混じって終わりのない夜を痛感する。犬の数は其れなりに減っただろうか、ぽつぽつと蠢く化け物共の間に隙間が見えたと思ったのに、暗闇から人影の様なものが其の隙間を埋める様に湧き出て来ると其れはどろどろと被っていた泥を落した。
『痛い痛い痛い』腹を刺された子供が泣く。
『苦しい』喉を押さえた男が藻掻きながら吐瀉物を吐き出す。
『辛い、悲しい』腕に動かぬ子を抱いた母親が蹲る。
『助けて』片腕をもがれた女が腕伸ばす。
『助けて』足を潰された老女が腕を伸ばす。
『助けて』腸を撒き散らした老男が腕を伸ばす。
『――― ねぇ、何で助けてくれないの?』
「……な、っ!?」
「――― ッ!!」
息を呑む音が被る。
大峰も比内も知識としては見える光景は偽物なのだとは理解しているのだろう、其れでも感覚と言うのは別だ。目の前に見える惨状が、助けてと言う声が、押し留めなければ行けない一歩をまさに比内が踏み出したのを大峰が腕を捕まえて踏み止まる。
「離せ!!」
あれは偽物だと言ったとしても、比内は理解しているけれど理解出来ていない。其れならば言葉で言ったとしても無駄だろうと判断したのか、唇を噛み締めて大峰は只々首を横に振った。揉み合っている二人を嘲笑うかの様に、たん、と酷く軽い音がして小さなヒトモドキの首が落ちた。
刀を構え、小さなヒトモドキの首を持ったのは何時か見た『刀遣い』の顔だったろう。
ばたばたと赤い血液を垂れ流す首を大峰と比内へと投げつけ、刀遣いの形を真似が異形が愉快そうにケタケタと笑う。
『これはお前のせいだよ、虎』
大きく大峰の瞳が見開かれ、比内を押し留めていた腕の力が緩んだ隙きに飛び出し、刀を構えていた男に斬り掛かるが押し合いを僅かにした後に弾かれて地面に其の背を打ち付けた。
――― 嗚呼、嗚呼、愉快。
揺れる瞳が何を考えているのか知らない。
柄を握り締める手が何を思っての事か知らない。
地面に縫い付けられた足がどうして動かないのか知らない。
只、伝わる感情が、其の波が、好ましいと黒い手が大峰の体に張り付いた。
『誰一人救えないくせに正義のヒーローだなんて笑える』
「…―――!!」
はく、と動いた唇が何かを呑み込んだ事は解ったが、何を吐き出そうとしたのかまでは解らなかった。
一気に膨れ上がった感情のせいだろうか、呪手を持つ指先がかたかたと震え、視線が忙しなく動く。両手で柄を握り締めながら何かに耐える様、ふー、ふー、と荒い呼吸を繰り返していた。
――― お前がどれだけ努力をしてきたのか知らない癖になぁ。
――― 苦しみも、悲しみも知らない癖になぁ。
――― 此の男はお前の思いを知らないくせになぁ。
――― 此のは男は其処に在る意味があるのか?
――― 此の男はお前の前に立つ資格はあるのか?
斬ってしまえば良い。
其の腕を振り上げるだけだ。
背中に残る傷跡を黒い手が酷く優しく辿った。
痛かっただろう。
苦しかっただろう。
其れを理解しない男など要らぬだろう。
大丈夫だ。
己の手を汚したくないのならば、願い、唄い、請えば良い。
与えよう。
望む儘に。
さぁ。
さぁ、さぁ、さぁ、さぁ、さぁ。
「てめぇ…っ!!」
大峰の耳に囁きを堕とす声が聞こえたのだろう、比内が立ち上がり其の腰を落として手にした刀で大峰に纏わり付く黒い手を払おうと刀を真横に振るうも大峰自身が其の切っ先を受け止めて反らせばバランスを崩して再び地面に伏した。
――― お前を理解出るのは我だけだ。
――― さぁ!捧げよ!血を!肉を!生命を!魂を!其の全てを!!
揺れる心に呪詛を産み付け、優しく包み込んでやる。
呑まれては駄目だと伸ばされた白い手を抑え込みながら、真綿で包み込んでやる。
其れを止めようとする白い手を全て呑込んで体中に這った漆黒の手が大峰から生命力を奪い、かくり、と垂れた首に、手に、銅に、足に、自由に動かせる様に糸を括り付ける。
前が見えなくなった人間など絡繰りにする事など容易い。
自分の思い通りに動く人形を手に入れた大峰の手に持たれた妖刀は、大峰の体を動かしながら其れは其れは愉快に嗤いながら刀遣いモドキとヒトモドキの首を大峰の手を使っで跳ね飛ばした。
無理に動かしたせいだろうか、所々体が軋んでる音を立てるが問題は無さそうだ。問題があるなら捨ててしまえば良い。
「良かったな、お前が殺したのだ。お前の手で、葬ったのだ」
大峰の手で、人を、殺した、と其の耳に吹き込み何も映さない瞳をした人形で次々と刀を持つ男の姿に変わった妖魔を斬り裂いた。
「――― 嗚呼、愉快愉快」
「てめぇ、何なんだよ」
「何だ、と言われればお前らが刀神とか呼ぶ……化け物よ」
大峰の腰に下げられていた青い鞘をした対の一振りを比内の方に投げ捨て、未だに此方に向かってこようとする姿勢を見せる比内に地面から生えた黒い手が其の体を這い回りながら生気と呼ばれるものを吸い上げながら胎動する。諌めるような声も今は届かず、若い二人を救いたいと覗いた白い指先を上から漆黒に塗り替えて潰した。薄く開いた比内の唇から声が漏れること無く苦しげに呻き、眉根を寄せて眉間に深く皺を刻んでいた。
黒い手が一面路地に咲き誇り、生在るものを引き摺り込もうと真っ黒な穴が大きく口を開けるが如く妖魔すらも地面に飲み込まれるように消え去り、黒い霧が晴れた其の先には、ぽつん、と赤い鳥居が緑色の光に照らされて何時の間にか佇み、其の異様な、悍ましい光景を全ては神に捧げる為の儀式だったと言われれば納得してしまいそうな程の静寂が訪れている。
緑色の光に照らされた大峰の影が、長く、長く、大きく、伸びて、其の手に握られた刀からは妖魔の体液が、ぱたり、と落ちた。
「我らは只の化け物よ」
二重に聞こえる声色が比内の鼓膜を打ち、地面を擦る靴の音が交じる。
「其れを扱うとは、笑わせると思わぬか」
凶暴で邪悪、神も化け物も根本は変わらず、只の欲に塗れた化け物だと大峰の姿で何かが嗤う。
「其れに救いを求めるなど、愚かしい。そう思わぬか?」
膨れ上がる闇が、膨れ上がる悪意が、ずるずると何かを吸い上げる音を立てながら刀を振り上げ死の訪れを告げる。白い手が其れを留めんと伸びるよりも早く近付きを知らせる切っ先に、比内は振り下ろされる其れを見届けることが出来あずきつく目を閉じると直ぐに感じるだろう痛みに見を固くしたが痛みの変わりに、ガンッ、と何かが弾かれる音がして閉じていた瞳を恐る恐る開けた。
「面倒なことになってやがんなァ…」
頭上から比内に落ちてきた声は何とも呑気で「は?」と思わず声を上げると同時に両脇に腕を突っ込まれ「はいはい、こっちねぇ」と引き摺られた。地面から這い出る黒い手をいとも簡単に払い除け、其れでも追い縋る黒い指先を踏み潰す二人の、大きな背中に見惚れる様に目を瞠ると低く唸る様な舌打ちが聞こえた。無茶苦茶に振るわれる大峰の斬撃を黒髪の男が弾き飛ばし、一歩踏み込むと下から上へと遠慮なく刀を振り上げると大峰は仰け反りながら後方へと飛び退く。其の動きが人の動きとは似つかず何とも不気味に、ぐにゃり、と体を折り曲げてから黒い腕が蠢き其の背を伸ばす。
「……嗚呼、邪魔だ」
低い声が響くと同時に、どさり、と大峰の体が地面に落ちると赤いフードを被った大男が大峰の腰に在った鞘に触れれば其れは漆黒に飲み込まれ、次いで其の手に握られていた刀を取り上げると軽く振った嗤った。
「楠芭」
短く名前を呼ばれた赤髪の男が地面を蹴れば其の巨体に似合わない動きで赤いフードを被った大男との距離を詰めると身構える姿を嘲笑うかの様に抜身の刀を振るわずに其の頭を顎に打ち付け、大男が仰け反り、呆気に取られながら後ずさった隙きに黒髪の男、蛇匣蛇だが地面に転がる大峰の体を投げて寄越した。
「持ってけ」
仕方が無いと言う感じに投げられた大峰の体を比内の傍にいた男、奈良盧が受け取ると、コンコン、と自分の腰に下げた刀をノックして「お仕事ですよー」と声を掛ければ「働かない!」と元気な声が返って来る。
先程までの緊迫感は何処へ消え去ったのか、漸く出てきた男の刀神に奈良盧は大峰を押し付けると比内の両脇に両腕を入れて其の体を担ぎ上げた。
「降ろせ!自分で歩ける!!」
「はいはい」
「運び賃を要求する!」
「はいはい、報告書に書く事が増えていくねェ…」
此れも持って行けと蛇匣蛇が地面に転がっていた青い刀を拾い上げ投げ様とすれば其れは白い手によって阻まれ、「何です?」と視線を寄越した奈良盧に何でも無いと追い払う様に手を振れば賑やかな一団は暫く騒がしい声を残しながら暗い道の出口を抜けて行った。
――― 伏して、伏して、願い申す。
白い手が祈るように両手を蛇匣蛇の大きな腕に重ね、言葉を重ね様とすれば、其の先は要らないとばかりに握っていた刀を鞘に収めると手にしていた青い鞘から刀身を抜き出した。謝罪と感謝を捧げるかの如く一度、白い両手が組み合わされると、僅かに何かが吸われる感覚を蛇匣蛇は息を吐き許容してくれたかの様だ。
刀を打ち合い、分が悪いと思ったのか黒い大きな手が地面から伸び上がり其の体を覆い飲み込もうとするのを蛇匣蛇が切り払い、細かくなった漆黒が諦め悪く其の形を無数の手に変えたのを白い手が握り込んで消して行く。
「滅べ滅べ滅べ滅べ滅べ」
呪詛を吐き出しながら振り下ろす刀を楠芭は難なく受け流し、返す刀で大男の背後から伸びた黒い手を斬り裂いたと同時に身を低くして大男の横を駆け抜ける。其れを阻止する為に地面から湧き出た数多の手は白い手を重ねられると再び消え去るのに、不機嫌そうな唸り声を上げながら蛇匣蛇が手にしている仄かに青く輝く刀身目掛けて力任せに握り込んだ刀身を叩き付けた。
パキリ。
と、鳴ったのは果たして。
――― そなたはとんだ鈍らよ。
「――― あ゛あ゛?」
怒りに任せて乱暴に振り下ろされる刀身を力に任せて蛇匣蛇が弾けば、パキッパキッ、と小さな音が鳴り止まずに辺りに響く。
護る為に。
殺める為に。
人の手で生まれ、人の手に使われる道具。
其れ故に刀で在り、其れ故に意味を持つ。
其れを忘れた存在など、只の鈍らだ。
鈍らは鉄屑に、鉄屑は塵に。
ガンッ、と刀同士が打ち合わせた音とは思えぬ音が鳴ったと同時に白い手が緩く緩く打ち合わせた刀身を押し込めば、バキン、と二振りの刀が折れた。
「許さん!許さんぞ人の子ぉぉぉぉぉぉぉ!!」
吠えた鈍らは伸ばした腕で何も掴めずに崩れ落ち、バラバラと砕けた刀身が安っぽい音を立てて地面へと散らばり、柄が地面の上をカラカラと軽い音を立てて転がる。
ゆっくりと青いローブを身にまとった人形が現れると地面に指を付き、深々と頭を下げながら掻き消えた。
「こっちも終わったぞ」
背後に崩れ落ちる鳥居を背負いながら巨大な鬼の首に刀身を突き刺した楠芭が緑色の月の光のに照らされ、全ての終わりを告げた。
――― 落雷が 近くで な いた。