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無敵の人失うものが無い人の事



天照に入ってからずっと変わらない光景がある。

「あら、寛大くんもっと食べないと駄目よー?」
「寛大くんちゃんと食べてる?」
「寛大くん、これ奢ってあげるから持っていきなさい」
「おまけの飴ちゃんあげるわね~」

奈良盧が若い頃から知っているお姉様たちは遠慮がなく、もれなく皆様世話焼きだ。奈良盧が自分の胃袋を相談して決めた定食セットを勝手に大盛りにしたり、もっと食べろと一品足してくれるのはやめて欲しいと幾度言っても体が細いから食べないと駄目だと押し付けられて二十数年、新しく入ってきた食堂の職員にも浸透しており未だに現役のお姉様達が未だにひよっこ扱いから抜けてくれないからここ十年程は諦めて大盛りを頼む事にしている。それでも何かと貰ったり、一品奢られたりするのはそろそろ年齢的にも勘弁して頂きたい。注文した品物を受け取るまでにげっそりとしながら、しおしおと萎れた足取りで目をつけていた人の前まで辿り着くと「おーっす」と声を掛けながら腰を落として深く息を吐きだした。
「ちわっす」
挨拶もそこそこに差し出された空に近い大皿に野菜炒めの三分の二を乗せ、続いて差し出された丼に飯も同じ様に移し替えると漸く奈良盧は定食に箸を伸ばした。
「何時も済まないねぇ……」
「いえ、助かります」
食事に辿り着く前に疲れ果て、取り敢えず塩分が欲しいとお新香をポリポリ咀嚼しながら吐き出した言葉はさぞ似合ったことだろう。よく食べる若い刀遣い数人に目をつけては十年程こうして食べられない分を引き受けてもらっている。だって、勝手に大盛りにされると差額を払いに行くのが面倒だし、さらに差額を払ったら払ったで「水臭い!」と怒られる、どうしろというのだとほとほと困り果てていた所に後輩という救世主を得た事でどうにか凌げるようになった。
『良く食べるようになったね!嬉しいよ!!』
なんて言われた時には珍しくチクチクと心が痛んだが、食べられないものは食べられないし、無理に食べれもしないのだから許して頂きたい。
目の前で奈良盧が押し付けた分まで直ぐに食べきる勢いの大峰を見てから未だに半分以上残ってる食事に視線を落とす、美味しいは美味しいのだけどもっと簡単に食事が出来たら良いのにと毎回思わずにいられない。

『――― 速報です!』

昼の和やかな番組が急に緊迫感を持つ声に切り替わるのに天井から下げられたディスプレイに視線を向ける。妖魔が現れたと告げるそれは現状を説明しながら緊急避難を訴え、最後に怪我人が出ている旨を幾度も幾度も口にした。その度に怪我人が増えていくのに目の前で瞳にディスプレイの向こうのアナウンサーを捉えたまま離さない大峰の顔を覗き込みながらお膳を少し横に寄せると腕を伸ばしながら身を乗り出し、パチン、と指で鼻を弾いてやれば「いでぇ!」と驚いたように声を上げるのに満足そうに笑いつつ再び目の前にお膳を戻す。
「虎くん、ステイ、だよ。俺らは呼ばれてないからね」
「でも…っ」
「勝手に動くことほど邪魔で迷惑なものはないよ」
そのうち呼ばれるかもしれないじゃんと漸く食事の終りが見えた頃には死傷者は十数人と膨れ上がり、どういった事態が起きたのかは終ぞアナウンサーの口から出ることは無かった。



腹が膨れれば欲を満たしたくなるもの、大峰と分かれると真っ直ぐに喫煙所へと足を向ける。
死傷者が出た事件が気になっていた様だったが編成された班で事足りているのだろう、特に呼び出しもなく欠伸を噛み殺しながら喫煙所の扉を潜れば見知った顔が片手を上げた。
「おう、奈良盧」
「おー」
同期で年も近くそれなりに出世した男、矢崎はそれなりのスーツに身を包み、現場ではなく裏方に引っ込んだせいかそれなりに出た腹を軽く叩いてやれば「やめろよ」と笑いながら身を捩った。矢崎の隣に落ち着いて煙草を咥えれば火の付いたライターが差し出されたのに、礼のつもりで片手で拝むと口の中を満たす苦味に満足そうに唸る。
「……そう言えば聞いたか?」
「んあ?」
「あれ、対応したの三島の班らしいぞ」
「ふぅん?」
数少ない同期の名前が出た所で何か嫌な予感を感じれば言い淀む様に唇を一度噛み、視線を吸い殻入れに落としながら矢崎は口を開いた。
「預かってた訓練生が亡くなったらしい」
こうして口にするという事は碌でもない死に方をさせられたのだろう、妖魔に敗れたのならばもう少し良い意味で無遠慮な切り出し方だったに違いない。吸い殻入れに落ちていた視線がゆっくりと上がると、矢崎は上向いて目を閉じた。
「トラックに跳ね飛ばされたそうだ」

その大馬鹿野郎曰く。

避難宣言が出て怖くてパニックになり、トラックの外に出ることが出来なかった。
怖くて、恐ろしくて、身を縮こませていたら、バンッ、と言う音がしてフロントガラスに亀裂が入り見上げたら妖魔が張り付いていてパニックになった。どうにかして逃げたくて気が付いたらトラックで避難者の方へ突っ込んでいた。
本当に申し訳のないことをした、取り返しのつかないことをした。

と、涙ながらに語ったそうだ。



――― 手にスマホを握りしめて。



「当然、見たんだろう?」
「そりゃな……」
妖魔の映像や一部の刀遣いの映像はマニアに高額で売れるそうだ。
それを目当てにわざと逃げずに現場に留まり馬鹿がそれなりの人数いる。
奈良盧は髪をぐしゃぐしゃと掻き混ぜると、不機嫌を隠しもせず顔を顰めてフィルターを噛みしめる。

身近に居るヒーローを見たいと避難しないものや、今回のように映像や動画を取る為にわざと現場に留まるものが一定数居る。その一定数を護る為に傷を負ったり、命を落としてしまうような刀遣いもまた『一定数』いる。
「早く、其の阿呆ども見殺しにして良い法律つくらねぇもんかなァ」
「奈良盧、俺はそれを一応怒らなきゃならん立場なんだが賛同する」
無駄死にも良い所だ。
落とさなくても良い生命が失われ、其れを奪った奴らは野放しだなんて。
死を覚悟して天照に入っては来るだろう、妖魔と戦うとはそういう事だと理解しているだろう。だが、守っている人々にその生命を奪われるだなんて想像するだろうか。
「まぁ、もし見かけたらちょっと気にかけてやってくれ」
矢崎は短くなった煙草を吸い殻入れに落とすとひらひらと手を振り、喫煙室を後にした。


天照は人の死に近い。
顔見知りの死に近い。
身近な者の死に近い。

先輩が、後輩が、大事な人が目の前で妖魔に散らされていくのを見たものも多いだろう。

でも、でも、人が人に殺されるのは……―――



嗚呼、嫌だ嫌だ。


此れも結局、責められるのは何の咎も無い天照なんだろう。
良く知った顔をが脳裏に浮かんで、ぐずぐずぐと崩れていった。







ちょっと手伝いに来いと矢崎に呼び出され積まれている書類を前に奈良盧は其れを崩してやろうとして、首根っこを掴まれて止められた。
手伝えって量じゃない、完璧に仕事じゃないかと文句を垂らしながら仕分けだけで良いかからと手を合わせる矢崎に根負けして『いる』『いらない』『知らん』と大まかなジャンルに分けて積み上げ直していく。
全部もう『いらない』で良いんじゃないかと、手に持っていた書類を突っ込んでやろうとした所で矢崎の端末が鳴ったのに思わず背筋を伸ばした。ばれたら何を言われるかたまったものじゃない。「いる~、いる~、いる~?知らん」とぶつぶつ言いながら書類をどうにか仕分けている奈良盧を呑気に呼ぶ声に「あ”?」と思わず睨みつけると矢崎がトントンと自分の右胸を叩いて見せた。
「お前呼び出し用の端末、電源切ってる?」
「馬鹿にすんなよ、今日はちゃん入れて………」
真っ黒な画面を見て、おや?と奈良盧は首を傾げる。電源ボタンを長押ししてもうんともすんとも言わず、サァ、と血の気が引いた。
「………充電が切れてる、ます」
ちゃんと欠かさず充電している筈の端末は其の意味をなさず、奈良盧を嘲笑うかのように沈黙している。これは、流石に、不味い奴ではないだろうか。ぶんぶんと振ってみても電源が付く事は無く、此れはもしや面倒くさい書類を欠かされるのでは無いかと思考が迷路に迷い始めた所で矢崎の端末が投げ渡されたのを受け取る。
「お前宛に至急の救援要請だとよ」
嫌だと言いかけた口は其処に移されたつい最近聞いた名前に低く唸ると手にしていた書類をぶちまけ、怒鳴り声を背中に受けながら走り出した。



奈良盧に救援要請が来ることは度々ある。
ある特定の妖魔に対して奈良盧は絶対的な強者だからだ。

指定された場所まで駆け抜けて行けば何かしらの複数の物体と六人の刀遣いが其処に居り、うち一人は周囲に怒鳴り散らしながら三人の刀遣いに押さえつけられ、一人は地面にしゃがみ込んでガタガタと震えながら涙を流し、最後の一人がどうにか持ち堪えているようだが分が悪そうだ。阿鼻叫喚と絶体絶命が一緒に来ている現状に零したくなる溜め息を飲み込んで刀を引き抜くと何かに姿を変えているらしいモノに向かって突き刺し霧散させると、一気に方を付けて仕舞おうと人の姿を模したものを切り裂く。
「――― やめろ!やめてくれ!!あの子はまだ!」
背後で聞こえる声は遮断し、ふ、と息を吐けば対峙した真っ黒い何かが揺らめきながら何も出来ずに奈良盧に切り刻まれて消えていく。

サルカゲ。

弱る心に付け入る妖魔の一種だ。
状況によっては面倒な輩ではあるが、変化したモノ自体が力があまり無い者なのだろう。大した抵抗も無く、影のものは影のままで霧散する。
それはそうだ、奈良盧には奴らにとって好む『もの』が存在しない。
恐ろしい者も、恐ろしい出来事も、悲しい、憎い、と言った悪感情を抱いてる者すら居ない。失ったら怖いと、そう思える者も居ない。
だから奈良盧はサルカゲには絶対的な力を持って接することが出来る。

まだ幼い瞳をしたモノがその变化したモノでは敵わぬとと悟ってか「助けて!!」と叫んだと同時に首を刎ねれば、たん、たん、と軽い音を立てて転がった後に姿が掻き消えた。

「あ、あ、あぁあああ!!奈良盧ぉぉぉおおぉぉ!!」
「はァーいぃぃぃッ!」
手にしていた刀を持ち直すと我を忘れて猛進してくる同期の三島が振りかぶったのを見て「残念でした」と笑いながら呟くとその体に思い切り、刀身を叩き込んだ。

ぐら、と傾いた体に腕を回して受け止め様とすれば不自然に三島の体が傾き宙へと浮いた。
「班長に触らないで下さい」
そう言いながら奈良盧を睨みつける女にはさっぱり見覚えが無い。
「あなたは班長に触らないで下さい」
そんなに奈良盧は三島に触りたそうな視線を向けているのだろうか、何方かと言えば担いで帰る手間がなくなって有り難いのだけれども。刀を軽く振ってから鞘に収め、用事も済んだ事だしとっとと帰ろうかと踵を返した所で「何で…」と絞り出すような声が聞こえた。
「何で班長の前であの子を切ったんですか?何で二度も班長の前であの子を殺したんですか?」
「………」
「あなた班長の友達なんでしょう?だったら何で!」
「――― テメェらが使えねェからだよ」
息を呑む音が複数聞こえたのに、先程から飲み込んでいた溜め息を吐き出した。
「テメェらが役立たずで、甘っちょろくてサルカゲも倒せねェ阿呆共で、三島を抑えられない昏倒もさせられない弱くて情けねぇのしかいねぇから俺が此処に居るんだよクソ共がァっ!」
腹の底から吐き出すと後始末ぐらいは出来るだろうと全部を彼等に押し付けて、足早に退散する事にした。
甘っちょろい『ごっこ』遊びに付き合う義理もない。





「奈良盧くん、ちょっと良いかい?」
翌日、矢崎に再び呼び出され禁煙室に籠もると、矢崎は深い深い溜め息を吐き出しながら煙草を咥えた。
「お前、刀神様に端末充電してもらったって?」
ぐ、と思わず飲み込んだ煙に噎せりながらちょっと待てと左手を突き出し、暫し咳き込んだ後に若干涙目に成りながら掠れた声をどうにか吐き出した。
「ちゃ、んと……ンンッ、ちゃんと頼み込んだし、お神酒も納めてもらったし、ツマミも渡したし。全部終わってから酒は追加で置いてきた」
「そういう問題じゃないだろ……」
「しかたねぇだろ、緊急だったんだからよォ。一番安全な場所に国家機密を預かって頂いたんだよ」
「だから、そういう問題じゃないだろうよ」
だって、どこをどう探したら刀神の手元に端末が在る程の安全を何処で得られるというのか。
呆れたような矢崎に奈良盧は物凄い勢いで神様仏様と土下座して頼んだ事を思い出し、こりゃ追加でお礼を持って行った方が良いなとチクチクと痛む喉を擦る。
「それと三島は辞めるそうだ」

まぁ、そうだろうな。
理由が何にせよ三島は躓き、膝を付いた。其処から立ち上がるには若さと、何かをエネルギーに変えられる純粋な欲求が足りない。

「お前のせいじゃないとわかっているが、顔を見ると許せなくなりそうだからこのまま有給消費して田舎に帰るとさ」
「まぁ、そうだろねェ」
理解よりも視覚で見た光景が感情に伝わる速度が早く、棘の様に刺さって抜けること無く延々に繰り返し思い出す。例え偽物だとしても姿形は三島がずっと接していた『あの子』で其の首を刎ね、殺したのは最終的に奈良盧なのだから仕方ない。理解と感情は対極に在る。
矢崎は何か言いたそうにしていたが、口にしても無駄だと思ったのか加えた煙草を揺らして再び溜め息を吐き出した。


「……しかし、何でお前『サルカゲ』効かねぇんだ。詐欺だろ」


ぼんやりとした声色の、投げかけた訳では無い矢崎の大きな独り言に「何でだろうねぇ」と喉を鳴らして笑って気紛れに返せば、其の答えは煙に巻き込むように空へと溶かした。






実際の所。
奈良盧には何故なのか自分で解っている。
両親は物心が付く前に無くなり、祖父母もちゃんと悔い無く見送った。幼馴染は奈良盧の心を揺さぶる程、深くには居なかったし、同期も先輩も後輩もその名称の関係な『だけ』。
居なくなれば悲しさや寂しさは感じるけれど、その居なくなった理由に怒りや憎しみといったものを感じなかったし、納得している。
今回、三島がもしも目の前で妖魔に敗北したとしても、絶望を感じたり憎しみを感じたりはしなかっただろう。だって、そういう風に出来ている組織なのだから。

此れは奈良盧の価値観で、誰かに押し付ける気は無い。
好きに嘆いて、泣いて、憎んで、恨めば良いと思う。



だけど、奈良盧はそれら全てを向けられたくない。



もしも何かしらの理由で奈良盧が死んだとしても憎まず、怒らず、絶望したり、深い悲しみを抱いたりして欲しく無い。
そんな奴も居たな、という記憶で留めて欲しい。
でも周りはきっと彼等の感情の赴くままに悲しんでくれるのだろう。

只一人、奈良盧の願う通りにしてくれるんじゃないかと確信めいた気持ちを抱いている。
問い質した事は無いけれど。

ただ、其処に誰かが居たという記憶として処理してくれるんじゃないかと思った。
勝手に願いを叶えてくれると信じた。



だから、恐れなど何処にも無い。





今日も何処かで妖魔も人も、人を殺すし。
喜びも悲しみも希望も絶望も、好き勝手に渦巻いてる。

消しゴムでも掛けるみたいに、全部が全部薄くなれば楽なのになと奈良盧は欠伸をしながら今日も程々に頑張っている。

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