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かくれんぼIF あったかもしれない未来



夢を見た。
視界が赤く、黒く、染まって、大きな衝撃が襲う夢を見た。
目が冷めた時に汗を掻くでも、焦るでもなくただ天井を見上げて一つの事だけを考えていた。


――― そう言えば、あの写真はどうなったんだっけ。


唐突にそんな事が思い浮かんだのは虫の知らせというやつだろう。
其の日から何となく家の要らない物の整理を始め、身辺整理の確認をし始めた。
祖父母から受け継いだ一軒家は奈良盧が死ねば然るべき処分になる様に手続きはしてあるし、家の中に残された私物は元々多くはない。家族の写真が並べられたアルバムも奈良盧が亡くなった後は只の塵として処分される。後、気に掛かる事は何かと言われれば気紛れに撮り、気紛れに送り付けたあの写真だけだろうか。まぁ、奈良盧の事を好ましく思っていない様子だから既に消去しているかも知れないが。

けれど、妙に胸が騒ぐのは何故か。
其れならば確かめれば良い。

天照の中を歩き回り、目当ての人物の様子を伺いながら近付く事にする。
警戒心を抱かない時に近付かなければならない。
そう、屈託の無い幼子の様な笑みを浮かべる時に。



一回目。

「あ、パパだ」
中庭でしゃがみ込みぐるぐると木の枝を使い地面に何かを描いている空棋問の近くに行けば奈良盧が思ってた通りの声が掛けられるのに笑みを浮かべながら隣にしゃがみ込みその顔を伺い見る、瞳孔のぶれは少なく、唇も僅かに湿っている。ゆるゆると意味もなく描かれていた線が徐々に波を打つこと無く真直になったのに、此れは駄目だなと早々に見切りをつける。
「問くん、パパと鬼ごっこしようか」
「する!」
「パパが鬼がから問くんは逃げなきゃ駄目だよ、十数えたら追いかけるからね」
「わかった!」
目をキラキラと輝かせながら立ち上がり、奈良盧が「いーち」と数え始めると甲高い声を上げると走り去る背中を見送り自分は逆方向へと歩を進めた。もう少し、意識が絡まり始めた頃に接触しなければならない。其れが何時になるのかなど予想は出来ないが、下緒院の知人にでも情報を送って貰えば良いだろう。どうせ奈良盧が空棋を構っている事は知れ渡っているから何も疑いもせずに教えてくれるだろう、当たり前の事の様に。



二回目。

「空棋くん?」
廊下のベンチで膝を抱えている空棋に声を掛ければゆっくりと視線を上げ何事かを口にしながら、ぐるぐると回る瞳に今回も駄目そうだなと思いながら両手を掴んで自分の肩に掛けると奈良盧は「よいせ」と掛け声を掛けて抱き上げた。どうにも思考の渦に巻き込まれるらしい青年は幼児化したり、立ち止まったりしたりと忙しいらしい。
「おう奈良盧、でっかい甘ったれな子供だな」
もう既に見慣れた光景になったらしい此の状況に笑いながら声を掛けてくる同僚に「うちのお姫さん可愛いだろォ?」と軽口を返しながら休憩室まで運ぶと、使われていない二段ベッドと下段に降ろして一息付いた。降ろしたままの格好で動かない空棋の体を寝かせ、上に毛布をかけてやり目元を掌で覆ってやれば睫毛が奈良盧の掌を擽る気配が一度、数分してまた睫毛が触れる気配に、ぽんぽん、と腕を軽く叩くと頭を掻きながら休憩室を出る。と、同時に元気に聞こえてきた奈良盧を呼ぶ声に背中を少し丸めながらその場から退散した。



三回目も失敗して四回目。

覗き込んだ瞳孔のブレは大きく、表情も抜け落ちていない。
奈良盧を見て満面の笑みを浮かべた空棋に奈良盧も漸く満面の笑みを返し、ぐりぐりと空棋の頭を撫でた。
「会いたかったよ問くん、パパ寂しかったなァ?」
そう声を掛ければ其れは其れは空棋本人が知ったら嫌がるだろうが、嬉しそうに瞳が細くなったのに何となく無くしたものが痛んだ気がした。 「問くん、今日はパパとお写真撮って遊ぼうか。問くんも持ってるでしょ?」
携帯電話を取り出して、ほら、とカメラを起動して見せれば空棋も同じ様に携帯電話を取り出し慣れた手付きでロックを解除する。そう云う所は幼児退行してても知識は持っているのだから便利なものだと思う。
「パパ、パパ、はな!」
無邪気に綺麗に整えられた花壇を指差しながらシャッター音を響かせる空棋の姿を眺めながら、何となく小さな額の中に入れてみる。くるくると変わる表情、好奇心に負けてあちらこちらへと向く足、其れを面白がって何枚かこうして記録したなと思いながら小さな円を指で押した。
「問くん、パパに写真見せて?」
「うん!」
何の疑いも無く、
何の迷いも無く、
差し出された携帯電話を手に取ると「凄いね」「綺麗に撮れてるね」等と声を掛けながら指を動かし、見つけたものを指でタップして確認すると指先を動かして『Delete』と確認を示すボタンを親指で押す。


記憶を呼び覚ますのはまず『顔』だと奈良盧は思う。
どんなに記憶力が良くても人と言うものは忘れる生き物だ。
顔を、声を、仕草を、癖を、忘れても其れを呼び起こす媒体が在れば蘇ってしまう。
何時も見ていた其の表情を思い出すだけで思い浮かんでしまう。
記録としては残るかも知れないが、記憶は無い方が良い。

「………問くん、隠れんぼしようか」
携帯電話を空棋へと返しながら、ゆっくりとゆっくりと忍び寄る終わりに言葉を紡ぐ。
「今日は問くんが鬼だからね、十数えてね」
素直に頷く空棋の頭を、くしゃり、と掻き混ぜるとしゃがみ込んで目を覆い数を数え始める空棋からゆっくりと離れる。「もういいかい」と問いかける声に「もういいよ」と返る声は無かった。







そして夢に戻る。
視界が赤く染まり、重い体を引き摺りながらビルの階段を駆け上がる。荒い呼吸も、動かないと悲鳴を上げる足も全て無視だ。
只上に、只距離を。
ぜぃ、と溢れる息に泣くのを堪えた四つの瞳が心配そうに奈良盧を見上げるのに大丈夫だと笑いながら階段を蹴り上げた。

ずるずる。
ずるずる。

不気味な音と呻き声が離れない中、駆け込んだ室内に小さな温もりを二つ置き去りにする。

今からするのはおじさんとのちょっと変わったかくれんぼだと言い聞かせる。

鍵を掛ける事。
声を出さない事。
耳を塞ぐ事。

゛もういいよ、と言われても応えない事。゛

救援信号用の符を其の小さな手に握らせると出来ない約束をして扉を締めた。



――― クソッたれ。



階段まで急いで戻れば黒い影が不気味に蠢き、その赤い口を大きく開いた。




三日前から何時もはしていない腕時計をし、何時もは付けていない香水を付けた。
靴には奈良盧の名前が内側に刺繍されているし、腰に帯刀した豊和は貸し出しの際に記録が付けられているだろう。
後は、後は何だっけ。

嗚呼、そうそう携帯。
壊れていなければ持ち主が分かりやすく奈良盧だと解るように待ち受けに…―――


体に襲う衝撃に、抗うことなど出来ること無く暗い底へと堕ちた。

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