Answer此れは少し未来のお話
「奈良盧さんは誰に見つけてもらいたいの?」
此れ以上穴など空ける場所は無いだろうと言うぐらいにピアスに彩られた派手な青年は奈良盧の掌を指先で探りながらそう口にした。
歳を取る度に体の一部に印を刻んだ。
願掛けとか、そんな意味は無く只単に死亡確認時に便利だろうなと思ったからだ。
体の一部に印が在れば面倒な手段無く死体を特定できるし、手間も省けるだろうと言う何とも単純な考えからだった。元を辿れば幼馴染が『腕』だけしか見つからなかった事が起因なのだろうが其程重苦しい記憶になっている訳ではないし、歳を取ると増えたのも死亡確率が上がるだろうから程度の事だ。
今回、掌に新たに印を付けようと思ったのも身体を欠損した時に刀遣いならば刀を握っている『手』が残る可能性が高いのではないかと言うどうでも良い思い付きだったのだが目の前の青年に投げかけられた質問に何故か答えられなかった。
死んだ体を、其の一部を、自分は誰かに見つけて欲しいの、か?
「だってこんなに痛い所、何の理由もなく彫らないでしょ」
掌に印を刻むのは大層痛みを伴う、らしい。
まぁ、其れを聞いた所で妖魔に切り裂かれたり噛みつかれたりするよりはマシだろうと「是」と口にした所、冒頭に戻る。
「……そう…、か?」
軽い口調で何の裏もなく青年から吐き出された言葉が妙に重く伸し掛かり、其れ以上の進展が無い侭に無為な時間が過ぎ、次の予約があるという青年に「デザインが決まったら教えてね」と気怠げに追い出された奈良盧は見送ってくれる青年にひらひらと手を振りながらも、同じ言葉がぐるぐると一日中頭を巡っていた。
『奈良盧さんは誰に見つけてもらいたいの?』
何時も通り複数のサルカゲと対峙していた時に不意に浮かんだ数日前の問掛けに目の前の化け物が嗤った気がした。
何の変哲もない、何時もの仕事で、何時も通りの複数のサルカゲと対峙し単調な作業で終る筈だったのに不意に浮かんだ数日前の問掛けに目の前の化け物が嗤い泥を被るように溶けた思えば小さな男の子の姿を彩り其の小さな口が『パパ』と奈良盧を呼んだ。
奈良盧の記憶には無い子供の姿だが、確かに奈良盧は此の子供を知っている。
見覚えがある。
目元の黒子だとか、細められた瞳の色だとか、はにかむように笑う時の口角の上がり方だとか。
知っている。
知っている人物ではあるが、彼は子供ではない。
けれど、奈良盧は目の前の子供が成人した姿を良く知っている。
――― だから、何だ?
目の前に居るのは作り物だし、其の人では無い。
『パパ』と足に縋り付こうとする子供の首を躊躇いなく斬り落とすと次の子供を脳天から真っ二つに裂き、返す刀で子供の体を二つばかり突き刺した。そうして十と少しの子供を斬り倒し、此れが自分の怖いものなのだろうかと奈良盧は首を傾げていた。
見知った顔を斬る事を躊躇する者は多いし、斬れない者もいる。
大切な存在を自分の手で幾人も殺す気分を味わう、そう感じる者もいるだろう。
けれど奈良盧は違う。
其の事に恐怖も感じなければ罪悪感も抱いたりしない。
だから「誰か」が恐怖の対象に成り得ない。
何故、と言う疑問が消えぬ侭に奈良盧は数日、数ヶ月と数十の子供を殺し、斬った数が百を超えても其の姿へと変わる理由が解らず、同じ任務に同行した同僚達からは「奈良盧に隠し子が?」と噂をされたりもした。
まぁ、あながち其の噂は間違っても無いのかも知れない。
馬鹿馬鹿しい事を思った頃には数えるのも面倒になる程に偽物の子供の遺体を築き上げていたが、其処に何の感情も芽生えなかった。
只、妖魔を斬り伏せている。
罪悪感もなければ斬る事に嫌悪感も無い。
其の姿を模してる事に対する怒りも無い。
だからこそ何に自身が恐怖しているのか、何かを恐れているからサルカゲが其の姿をしているのか理解が出来ない。
なのに、子供を斬る度にあの日乗せられた重しが其の存在を示すようにゆっくりと重みを増し、今も奈良盧に其の存在を事ある毎に思い出させる。
『奈良盧さんは誰に見つけてもらいたいの?』
まだ答えは出ない。
――― 嗚呼、今日は良い天気だなァ。
呑気な事を考えながら何百人目か解らない子供を斬り、不意に目に入った青空と視界を奪うような光に思わず左手を翳せば其の掌が赤く染まる。
「………」
ふ、と脳裏に浮かんだ色と色、文字と文字。
其処から連想された名前と姿。
『パパ』と奈良盧を呼んでいた子供の姿をした無数のサルカゲの中の一匹が急にどろどろと現在の姿を溶かし、急激に大きな姿を形作るとゆっくりと小さな子供が成長し、現在の『彼』の姿を彩ると口の端を歪めながら地面を蹴って高く跳ぶ姿に奈良盧は目を瞠る。
其の切っ先に太陽の光を集めながら真直に振り落された刀に何故か全てが鷲掴まれた気がした。
嗚呼、そうか。
嗚呼、
嗚呼、
嗚呼、此れは 『 』 だ。
不意に、ぽとり、と一滴落ちた雫は波状に広がり体を満たしていく。
隅々まで染みた感情に酔いしれる。
嗚呼、そうか。
嗚呼、そうか。恐れていたのは其れだったのか ―――
目の前で『空棋 問』の姿を模したサルカゲの刀身を打ち合わせ、何かを呟くと同時に刀を握る力を緩めればサルカゲは其れを好機と思ったのか、ぐにゃりと歪に顔を歪め力を込めて刀を押し込んだ。と、思えただろう次の瞬間には奈良盧切っ先は作り物の首先を正確に捉え、音も無く切り落とす。
たん、と軽い音が響く。
何が起こったのか解らない、間抜けな顔を晒した頭は数回地面を撥ね、転がり、霧散した。
「……そうかァ」
落とした呟きは青い空に溶ける様に誰にも聞かれる事なく、只、奈良盧の体を満たした。
それから。
それから、奈良盧は鯉朽隊に所属を移した。
無所属だった頃からの違いと言えば参段に昇段し、最前線に好んで出向くことが増えた事。だろうか。
其の間、幾度かサルカゲとも対峙したが其の姿は変わること無く難なく奈良盧に処理をされる日常へと戻った。
それに合わせて徐々に家の整理も進め、仏壇や位牌は然るべき処置をして貰い両親や祖父母が写ったアルバム等も処分した。一人には広い家にあるのは生活に必要なものだけになり、そろそろ此の家の処分を考えても良いのかも知れない。
ぼんやりと目の前の書類に記入しながら取り留めのない事を考えていれば「奈良盧さん」と呼ばれた声に視線を上げると、薄い冊子を手にした三十代前半の女性がカウンターの向こう側に立っていた。
「なんだかスーツじゃない、髪をおろした奈良盧さんって違和感ありまくりですよね。髭も生えてますし」
「ん~……四日間ぐらい出突っ張りだったからねェ」
「奈良盧さんが鯉朽隊に入ったって聞いて大雪が降るのかって言われ、参段に昇段した際は嵐が来るって言われてましたが……今度はここ、天照が爆発でもするんですかね」
「酷いねぇ…」
言われても仕方がないと言えば仕方が無いのだが、あまりも酷い話だと眉尻を下げて笑いながら書き終えた書類を相手に差し出せば記入項目を確認した後に幾度か頷き其の書類をファイルに挟み、彼女は手にしていた冊子を奈良盧に差し出す。昇段試験に関する注意事項や、必要な要項が書かれているものだ。
「昇段試験、頑張ってくださいね」
「どーもぉ」
冊子を受け取って半分に折り、雑に上着のポケットに押し込みながら大きな欠伸を零して目元を擦る。
四日、妖魔と追いかけっ子をしていた体は限界を訴えており、何処かで腰でも据えてしまったらうっかり寝てしまいそうだ。ひらひらと力無く挨拶代わりに手を振り事務室を出るが、先程の彼女が小走りに奈良盧に追い付くと「途中まで一緒に」と隣を歩き始める。
何処かそわそわとした様子は好奇心を隠せない子供の様で、抱えているファイルに軽く爪を立てては息を飲んだり、吐いたりを繰り返してから上目遣いで奈良盧を見上げた。
「……何か心境の変化でもあったんですか?」
一応十年と少し、顔を合わせている彼女からしたら長年何処にも所属せず、昇段もせずにいた奈良盧が急に鯉朽隊に所属したと思えば昇段試験を受け参段になり、今度は弐段を目指しているというのだから気になったのだろう。伺うような視線を向けたまま、其の奥に瞳を輝やかせているのを隠さずに何かを期待した表情を浮かべている。
「……そうねぇ、おじさんの事気になっちゃう?聞いたら好きになっちゃうかもよォ?」
「それ、セクハラです」
「そうなの?知らかなったなァ」
「それで!結局どうなんです!?」
「そうねェ、恋人同士になったら話すかもねぇ」
「……それ、セクハラの上にフラグっていうんですよ奈良盧さん」
輝いていた瞳が一瞬で曇り、真面目な顔を作りながら「しかも死亡フラグってやつです」と冷たい視線が彼女から突き刺さっているのを意に介さず、彼女の歩幅に合わせて廊下を抜け、階段を下り、エントランスまで歩を進めると再び漏れる欠伸に視界が歪んだ。浮かんだ涙を親指で拭いつつ「じゃぁね」と此処まで一緒に来た彼女に別れを告げ早々に自動扉を潜ってしまおうと動き出した足を、くん、と着ていたパーカーの裾を掴まれて阻まれ「ぐぇ」と情けない声を喉から漏らす事になる。
「奈良盧さん、空棋さんがいらっしゃいますよ!」
「え?あぁー、本当だねぇ」
何故か潜められた声で言われ、締められた喉元を労るように手で撫で擦りながら視線で示された方向を見遣る。成程、空棋と誰かが談笑している姿がある。だから何だろ言うのか。意味が解らずぼんやりと其の姿を眺めていれば、再び漏れた欠伸で先ほどより溢れ出た涙を袖口で拭いながら彼女を見下ろすと不思議そうな、不満そうな表情を浮かべて奈良盧を見上げていた。
「仲、良いんですよね?」
「良い、のかなぁ?」
「声掛けられないんですか?」
「……何で?」
誰かと楽しそうに話しているのをわざわざ邪魔しに行かねばならないのかと尋ねれば裾を掴んでいた指がおずおずと離れ、何故か「すみません」と言う謝罪が聞こえる。何故謝罪されたのか、其の意味はさっぱり解りはしないが急に沈み込んだ彼女の頭を、ぽん、と撫でてから自動ドアを潜る。
「……うぉぁ」
寝不足の身には沁みる眩しい日差しに痛む目を庇うように手を翳し、思わず呻き声を上げた。
鯉朽隊に移動し、昇段した奈良盧を周りは変わったという。
何故、変化をしたのか聞きたがる。
でも奈良盧自身は別に何も変わっていない。
周囲との関係も何も変化はない。
変わったのは奈良盧だけしか理解できない、奈良盧のとある感情だけだ。
何をあんなに考え、何を恐れていたのか。
其れを理解しただけだ。
初めて抱いた人ならば最初から感じることの出来る感情を持て余していた。
知っているものだった。
与えられていたものだった。
ただ、与える事は知らなかった。
何時の頃から気付かぬうちに抱えていたのだろう。
初めて与える事になった感情に名前を付けられず喉に何かが引っ掛かっている。
其の事に気付きかけ、其れが気持ち悪かった。
気づいてしまえば何のこともない、奈良盧も良く知っている感情だった。
家族以外の誰かに自分が其の感情を抱ける事に驚いが何故か非常に充足感が在った。
満たされた。
そう思った。
だから、色々、もう良いかと思った。
昇段しない事、何処にも属さない事、記憶に残ろうとしない事。
全ては全部、奈良盧が自分に勝手に嵌めていた枷だ。
何かを心に住まわせたら弱くなるだろうという、勝手な思い込みをしていた。
だから、もう其れは要らない。
知っても弱くはならなかったから。
それに、其の感情の言葉の前に付くはずの言葉も別に要らないと思った。
在っても無くても変わりはない。
だって、
それは、
確かに『愛』だから。
家族。
知人。
友人。
恋。
様々な言葉が『愛』の前には付くのだろうが、ただ抱えていた何か解らなかった感情に言『愛』と言う言葉が付いただけで満足だった。
目の前が急に開けた気がした。
そんな事誰に言っても理解されないだろうし、奈良盧自身も結局は前に付く言葉を探して理解しようとせずに放り出している。
もう其処が答えで良いと思っている。
日差しに透け、赤く染まる掌に浮かぶ黒い文様に思わず「ふふ」と笑い、両手の口元を一度覆うと重いた体を早く休める為に帰路を辿る。
『奈良盧さんは誰に見つけてもらいたいの?』
あの日の問掛けの答えが、掌に、在る。